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2009/11/14
オーストラリアのメルボルンに行った際、多くのバックパッカーが宿泊する施設に泊まった。
夕食後の夜の時間、寝るまでの時間、よくその連中とトランプで遊んだが、ある晩みんなで飲みに行こう、ということになった。 友達が友達を呼び、十数名の一団となって街にくり出した。 現地で言うところのパブで、クリスマスシーズンだったこともあり、たまたまクイズ大会をやることになっていて、チームを組んでクイズに参戦し優勝すると飲み代がタダになり3位入賞でもいくらか割引だった。ついては申込み用紙にチーム名を書くことになった。 俺達には、オーストラリア人がひとりもおらず、イギリス人、フランス人、オランダ人、アメリカ人、ドイツ人、日本人(俺一人)だったので、「6NATIONS(シックス・ネイションズ)」というチーム名でエントリー。 広く薄暗い店内の一番奥には明るい照明の下、小さなステージにタイトルボードが設けられており、小さなテーブルとマイク。ほかの客達も続々と集まってきて、約50〜60人10チームくらいあったと思う。中でも十数名いる我々が最も大人数のようで、ステージすぐ前に陣取った。すでにみんなビールを飲み始めている。 かくして準備が整い、テキトーな時間で怪しいチョビヒゲを生やしたジャック・ブラック似のオッサンによるハイテンションMCで大会開始宣言。「HAAPPPYYY MARRYYY CHRISTMAAASSSS!!! MATHER F★CKERRRR!!!」耳がどうかなるかと思ったが、しかしそうして楽しい国際的なクリスマスの夜が始まったのだった。 written by Daigo Kojima |
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2009/10/15
アマチュアと素人、プロフェッショナルと玄人、一般的にはそれぞれ同じ意味の言葉だろうが、私にとっては別々に聞こえる。
アマチュアとプロフェッショナルは、「職業(生業、ナリワイ)」かどうかの違いである。 素人と玄人は、「精通している(詳しい)」かどうかの違いである。 つまり、職業(プロ)の素人か玄人、あるいは趣味(アマ)の素人か玄人の四種類である。 自己解釈ではあるが、「プロの素人」も、反対に「アマの玄人」も確かにいる。 私のいいたい事としては、アマチュアリズムとプロフェッショナリズムには、背景にあるものが異なる。分かりやすくいえば、趣味でやることにこだわるのか、生業でやることにこだわるかの違いである。 趣味である事によって、ノビノビと、崇高な境地を見いだす場合もあるだろう。 生業である事によって、辛酸をなめたり喜びを見つける事もあるだろう。 背景が違うことで、同じ事でも全く感じ方が変わることがある。理由というか目的の違いでもあるだろう。 しかし、やっぱりやっていることは同じである。そんなことを言うのも素人っぽいだろうか。 written by Daigo Kojima |
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2009/10/10
抽象画には、正直言って俺は理解が無い。
「ナンダコリャ?」と言っておしまいになるケースが多い。 でも、「ハートマーク」が実は抽象画だろうと何となく勝手に認識している。 広告などで使われているシンボルマークというやつは、「象徴」しているだけに、多くは抽象画的な性質だろうと思っている。 あと、大阪の吹田付近にある岡本太郎作の「太陽の塔」はなぜか好きだ。 今の俺は理解が無いだけで、いずれ理解できると楽しいだろうな、とは思う。 written by Daigo Kojima |
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2009/09/22
制作旅行を、観光旅行か何かと勘違いしている人がいるようだ。
旅でどんな生活をしているかというと、制作を毎日違う場所(現場)でやっているという程度のことで、工事関係や引越屋さんとも近いだろうと思う。 まず現地に移動して、宿泊施設に着くと荷解きをして、着る物と荷物を現場作業スタイルに変更し、外出して食事するところと公衆トイレをチェックしつつ、地図を眺めながら制作のロケーションを探す。 いくつかのロケーションを滞在期間分の場所数を探しながら地図にチェックしスケジュールを作って、当日もしくは翌日から現場で制作を始める。現場が人通りの多い建物の近くであれば、その建物の受付や事務所に行って、描いていてもいいかどうかの許可をもらう場合もある。制作が終わったら御礼も言う。 休憩なども取り、制作が終わり日が暮れたら帰りに食事して、あるいは一旦ホテルに戻り、シャワーを浴びて食事してテレビを観たり本を読んだりして、翌日のスケジュールに合わせて大体は早めに寝てしまう。疲れていると、あっという間に寝る。 制作では画材はもちろん、スケッチブックなどの荷物も持ち運ぶ。 現場では話掛けて来てくれる人が多い場合もあるが、ひょんな出会いに嬉しく思う反面、制作時間を奪われるもどかしさもある。欧米では顕著である。日本でも根室(北海道)の、誰もいないかに思われた海の見える丘で描いていた時は、通りすがりの昆布漁のおじいさんとの話が面白過ぎて、光線も海の色もすっかり変わってしまい、制作意欲が無くなったこともある。 思ったように作業が進まずジレンマを抱えることもあるし、歩き回って疲れ切ったり、見知らぬ街で食事が満足でなかったり、飲み水に困ることもあるし、海外では言葉の問題もあるし、宿泊先や現地の人とのトラブルに遭遇することもある。現地での様々な不安や制作に対するプレッシャーを必要以上に抱え込んでしまうこともある。 それでも制作旅行をやめないのは、「そういう制作スタイルで描かれたものを作品として自分で見てみたい」という点が大きい。それにそうした不安や現場仕事は、他の業種の人々とも共通した点があると思うから、別にやめるという理由にもならない。美術関係でやれていることを誇らしく、また恵まれているとも思うが、実際にやっていることはそれほど違った特別な生活をしているとは思わない。 written by Daigo Kojima |
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2009/07/12
好きな言葉に「絵になる」というのがあって、
琴線に触れる、情緒を持った言葉だと思う。 あらゆる場面で使われる不思議な言葉だ。 人類は、文字を書く前に絵を描いたのだと思う。 よくよく文字を眺めると、絵に見えてくる。 written by Daigo Kojima |


