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2009/05/14
価値のある人
価値のある人、とは実際にいるものだ。
独自の基準だが、人間は五段階に分かれる。
第一は、「半人前格」、
第二は、「一人前格」、
第三は、「人格者格」、
第四は、「エリート(精鋭)格」、
最後は、「象徴格」 である。

一般に説明が必要と思われるのは、「人格者格」以降だろうか。
「人格者格」には、まず人に「好かれる」。比較の話ではなく、周囲の人にとってまず絶対的なものがある。蔭にも表にも「ファン」がいる、と言い換えてもいい。
「エリート(精鋭)格」は、周囲の人々のことを常に考えていて、職務のためなら命を投げ出すような人である。日常では全く使えそうも無いことまで勉強していて、いざとなるとその圧倒的な教養と大局観によって周囲の人々を救うことも可能な存在。
「象徴格」とは、いるだけでいい。存在しているだけで、あるいは「その人がいた」という事実だけでも大きくものを言える。周囲の人にとって「誇り」でもある。偉人の死とは「象徴格」となりやすい。
アメリカ国民の支持率80%を越えるオバマ大統領が突然死ねば、おそらく「国葬」になるだろう。そこには他国の首相クラスも列席するだろう。ホームレスの死はまずそうならない。本当は家族も兄弟もいるであろうに。この違いはそこにあるのではないか。

ちなみに「一人前格」には価値がないのか?といえばもちろんそうではなく価値はある。これは自分の面倒を見るので一杯、他人の面倒まで見ていられない、という基準である。
「半人前格」は価値があるのか?という問題だが、子供がそれで、仕事も出来なければ言葉も分からないが、「表情」や好奇心を持ち、学んだり伝える楽しさを知っている。夢を持って半分来ているだけでも実質的には価値がある。誰もが最初は半人前以下なのだ。
そしてその裏をかえせば、夢の無い人には価値が無い、という事にはなる。


written by Daigo Kojima


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2009/05/08
夢のある話
夢など持っていないのが先進国の現代人の特徴だといっていいだろう。
海外の旅先でもよく出会う。
そして日本にもたくさんいる。
いっときは夢を持つが、あまりにも簡単にあきらめてしまう。
私の周囲にもたくさんいる。何度彼らの夢や目標を聞き、「宣言」を聞いてきたか分からないが、呆れるくらいあっさりと忘れて小さな欲にとりつかれ打ち捨ててしまうので、こちらから話しかけることも虚しい。彼、彼女自身の「約束」をまともに守った!という話も聞こえてこない。

実は私も夢など持っていなかった。目標も無かった。
でも夢を持っている自分が好きになった。
何でもいいから、目標に向かっている生活を送る自分がいれば、些細な気持ちの食い違いや悩みも吹き飛んでしまうものだ。
夢に向かっているもの同士の会話というのも楽しい。その中には共感できる意味合いがとても多いので、さらに言えば会話など必要としない。顔を見れば、あるいは声を聞いて少し挨拶をすれば、もう充分に満たされる。「困った話」がなぜか愉快に聞こえてしまう。彼らにとって「金も時間も無い」ということはまるで楽しみの一つかのようにさえ聞こえる。失敗談も心に沁みる。ドラマには「盛り上がり」が必要なのだ。すんなり成功してしまう夢などつまらない、とでも言うかのようだ。同士としては何ともいい気分だし、励まされる。
でも、やっぱり周囲にはそんな人、そんなにいないなあ。


written by Daigo Kojima

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2009/03/07
アートの価値について
普段お世話になっているある知人から相談を受けた。
彼女は娘さんが通う中学校の美術クラブのボランティア講師をされていて、そこは学校の掃き溜めになっており、自閉症気味の生徒やイジメの被害者も加害者もいるが、根気よく丁寧に美術を教えれば、十代前半ならではの非常に優れた作品を制作すると言う。そしてそれを進学にしか興味の無い保護者たちに分かってもらうにはどうしたらいいか、という相談だった。
教師も保護者たちの意向をまともに受けて、進学には一般的に必要となる国語・数学・理科・社会科・英語などの学科には力を注ぐが、体育や美術は単位はあるけれど進学に直接関係の無い科目として、まるで関心が無いと言う。
事実、一般的には体育や美術などの実技系科目で将来生計を立てることは大変困難とされている。
ではなぜ体育や美術は「教育科目」になっているか?
そして本当に中学校で保健体育や美術はないがしろにしていいのか?

私の想像ではあるが、どの科目も情緒を養うことが重視されるべきと思うし、意味や価値を知る事が最低限必要だとも思う。
国語によって「人を救う」ことは可能である。言語表現力を磨いて、社会にある煩雑な情報を処理することは、言葉を聴き分け、文章を読みこなし、文脈を捉え、意味を把握するところから始まるといっても過言ではないだろう。
数学にも「人を養う」ことは出来るだろう。状況を数値化(要約化)し、数値の性格を見抜き分類し、計算することによって未来を構築する作業になっているはずである。日本人が稲作によって安定的に米を主食に出来たのは、数学や生物学を根本的に利用したからに違いない。
理科(化学・生物・物理・天文学など)も社会科(地域社会・産業・歴史・地理・経済・政治・法律など)も英語(先進国=欧米の言語と習慣)にも、そして保健体育(医療・肉体運動など)はもっと必要かも知れないし、美術によって「美しいとは何か」「美化するとは何か」「明るい・暗いとは何か」「希望的とは何か」「(実践の)『成功』とは何か」を学ぶこと(ちなみに私は映画や音楽、TVドラマ、プロスポーツも含めて全てのエンターテイメント=娯楽はここに属していると考えている)は大変重要だと思う。また、これらの価値を知る事は、世界に共通して有益だと思っている。

中でも私は美術に関わる一人として、世間にある「美術の無益性」論調に強く反発するだろうし、今後も美術が世間一般で有益であることを実証して見せたいとも思う。


written by Daigo Kojima


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2009/01/29
新アメリカ大統領
アメリカ大統領が新しくなった。
先日新幹線に乗る際、待合室で座っていると、ビジネスマンやおばさん集団が新大統領の話をしているのが聞こえた。
「カッコイイ」「シブイ」「演説の言葉に説得力があった」「声が良い」「奥さんが素敵」「奥さんの着ているものが良く似合っていた」などなど、良い話ばかりだ。
今後どうなるか分からないが、私もアメリカも世界も良くなればいいと思っている。
見た目や演出などよりも、問題は政策だし国民一人一人だし、アメリカだけではなく各国との連携・協力姿勢だということも分かっている。
ただ、夢を見させてくれているのも事実で、夢の無いハードな話題の多い世情で、ポジティブな方に頭が切り替わった人々が多いのならば、それだけでも凄い大統領じゃないかと思っている。
もし、世の中に絶望してこれから自殺しようとしている人が、「これから生活が良くなるのかも」と思い留まったら、政治家という職業と、その演出を再評価すべきだろう。


written by Daigo Kojima


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2008/12/30
上海行きのビジネスクラスで
制作旅行先のオーストラリアから中国・上海へ、中国籍の飛行機で移動。私は約2時間半後に上海から別の飛行機に乗り継ぎの予定でいた。
ところが出発からして1時間遅れており、到着するのも1時間以上は遅れるという事態になってきたので、客室乗務員の方に相談すると、到着間際に私の座っていたエコノミー席から出口に近いビジネスクラス席に移動となった。少しでも早く降りられるようにとの乗務員の配慮だった。

ビジネス席に行くと、窓際二席に若い中国人カップルが座っていた。おそらく20代前半であろう。
男の方は通路側席で、ふやけたニタリ顔で窓際の彼女の手や腕を握っている。
美しく着飾った彼女は、されるがままにじっと窓の外を退屈そうに眺めている。
後ろの席には同じような様子のカップルがおり、女性同士は仲間のようで、要するにダブルカップル旅行である。
女性同士は時折思い出したように、背もたれ越しに一言二言、軽く言葉を交わすがやはり退屈そう。
男達はそんな彼女にしなだれ掛かるかのように、荷物や洋服やリクライニングシートの具合、ともかく彼女の身の回りの世話を焼いている。彼女はそんな彼の様子を見もせずに退屈を黙ってやり過ごしている。
最近の中国人は景気の良さを反映して、金持ちはいいものを着て、良い席に座り、遠方へ行っては派手に買い物をして豪勢な時間を過ごす人もいるようだ。
だが、かつての日本人やアメリカ人がそうだったように、輝きに目が眩んでいる人々もいるようで、高価な商品やサービスの意味も知ってか知らずか、という風情を漂わせている。
狭いエコノミー席から移ってきた私は、彼らと通路を挟んだ横の席で到着の時刻に神経質になっていた。

上海に着くと、乗り継ぎの中国航空会社のカウンターの前で、やはり中国人職員が三人で今か今かと私を待ち構えていた。その内の一人の女性職員が、大きくローマ字で書かれた私の名前の紙を持っていた。
面倒だったのは、予定ではすぐの乗り換えにもかかわらず一旦入国審査をすることだった。しかし彼らに導かれるまま「特別通道」と電光掲示された中国語の案内板の下を彼らとくぐり、誰もいない冷たい廊下をいくつもの重い扉を開けては通り、何とか乗り継ぎには間に合ったのだった。


written by Daigo Kojima


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